山岸謙太郎×松本陽一(12)

※2019年11月25日、某所にて

山岸謙太郎×松本陽一(12)

日常と非日常の逆転が生み出すもの

松本
さっき、それを目指したい、つまり、狙うみたいな話がちょっと出たので、少し掘ってみたいんですけど。狙えます?それ。
山岸
いや……結果、狙えないんだと思うんですよね。……狙えない?うーん、狙えてる人は狙えてるのかもしれないですけど、狙ったらそれは嘘になる気がしているんですよね。何なんでしょうね……。『東京無国籍少女』も、あれを演出で狙って撮ってたら、多分あんな感じにはなってないし、面白い感じになってないんですよね。分かりにくくすることで高尚なものにしているつもり、みたいな作品、自惚れてる映画になっちゃう。
松本
うーん。
山岸
だけど、本当に解らない物を僕が解らない、ということで出した。どういう事かというと、僕の中では日常と戦争みたいなものがテーマにあって、なんとなく思っている日常と戦争みたいなものを書いていったら、ああなった。例えば、モデルガンでガンガン撃っていくのを僕はかっこいいと思っている。でもこれって人を殺すための道具であって、戦争の道具であって、そんな物をかっこいいと思っているのは人としてどうなの?とか、どうしてかっこいいかが分からない、みたいなのが、そのままセリフにあったりする。
松本
うん。
山岸
僕らは、この平和というか……一応戦争では無い日常みたいな状態を凄く当たり前、それこそ日常と思っていて、平和だと思って生きているんだけども、じゃあ戦争が日常の国から見ると、僕らの日常はすごくファンタジーに見えるだろうしフィクションに見えると思う。でも僕らからは、戦争がフィクションじゃないですか。テレビの向こう側の話であって、映画の中の話であって……でもどっちも現実に起きていて、これを逆転したかったんですよね。
松本
うん。
山岸
戦争をしている、戦争が日常な国から見た日本の異質感みたいなものを。

松本
それが未来というか、違う時空から来た主人公って事ですよね。
山岸
そうそう、彼女の目線で日本を見る。これは細川さん、細川伍長の影響がすごくあるんですよ。僕は『東京無国籍少女』を作る1年か半年くらい前に、伍長に初めて会ったんです。そこでお話を聞いていく中で、最初のうちは、知識的な部分での話だったんですけど、そのうち仲良くなっていって一緒にお酒飲んで話すようになったんです。戦場から帰ってきた時の細川さんの心理みたいな話になっていった時に、むしろ僕らがいる所のほうが異質である、みたいなことに気づいて。
松本
伍長と出会って、監督は『東京無国籍少女』を作り、僕は『傭兵ども、砂漠を走れ!』を作ったっていうのが面白いですよね。
山岸
そうですよね。

コメディの封印を解いた時

松本
でも、今『東京無国籍少女』の話を聞いてみると、やりたかったことは結構まとまっているじゃないですか。
山岸
まとまってはいるんです。ただ表現の仕方、どういうストーリーを組んだらその表現が伝わるのかががわからなかった。『逃想少年』は、銀行強盗が来て、その銀行強盗にどんどん仲間意識が出来てきちゃって、僕の日常とは何だろう?みたいな、分かりやすいストーリーの上でテーマを展開していくんですけど、『東京無国籍少女』は、そんなでかい話をどうやって表現していいか分からなかった。だから、多分こうじゃないかな?ってものをふんわり作ったまま、自分の中で分析もしないまま出した感じ。
松本
結果、それが良かったんですかね。
山岸
少なくとも押井さんには伝わったみたいです。
松本
評判はどうだったんですか?
山岸
完成した後ですか?意外と良かったですね。僕自身も、音が乗って完成したものを落ち着いて見たら、映画として良くまとまったな、って正直思いましたね。じゃあ、やりたかったことがまとまってたのか……ってことには疑問があるんですけど。
松本
難しいですよね。
山岸
うん。
松本
自分としてはフワッとしていたものが評価を得たり、逆にそれじゃいけないと思ってスッと割り切ったものの方が、分かり易くってダメって言われたりする。
山岸
そう、何を信じていいか分からなくなってくることは凄く多いんです。『サムライゾンビ・フラジャイル』(2013年)は、もうコテンパンに押井さんに説教くらったんですよ。
松本
あ~、そうなんだ。ちょうど今、対比に『サムライゾンビ・フラジャイル』を出そうかと思っていたんですよ。
山岸
あれは、正に対比の作品。『イヤータグ』と『東京無国籍少女』で、僕のダークなシリーズがポンポンと出たんですよ。重い話が続いて、ちょっとプロジェクトヤマケン内でも、そろそろ辛いって声が出たりして。
松本
ああ、それでちょっと明るめの作品をやろうと。
山岸
みんなが作りたいの作ろうよってことで意見を募ったら、侍、ゾンビ、おじいちゃんが主人公、探偵物……いろんな意見が挙がって。じゃあ、これを1つにしようか!って始まったのが『サムライゾンビ・フラジャイル』なんです。『ビックリシャックリ』のトラウマがあったんで、コメディは封じてたんですけど。
松本
じゃあ、コメディでリベンジしたいと?
山岸
というか、『ビックリシャックリ』をやって自分なりの失敗があった後、ミクシィが出来てコミュニティで人を集めやすくなってきて、インディーズの撮影チームがいっぱい出てきたんですよ。何作っているかというと、みんなコメディ。今で言う動画の始まりだったんですよね。
松本
ああ、おもしろ動画みたいな。
山岸
おもしろ動画の始まりで、あっちもこっちも、コメディ、コメディ、だったんですよ。だから、俺はここに混ざりたくない、っていう理由で自分の中でコメディを封じて、僕はプロジェクトヤマケンではコメディを切やらない方針だったんです。それをここに来て、じゃあ満を持してコメディをやろうかっていうのが『サムライゾンビ・フラジャイル』だったんです。だから真逆に行ったし、分かり易くて下らないギャグをやる、みたいな。ちょっとそういうところに行きましたね。そしたら押井さんに「お前がコメディをやろうなんて100年早い!」って言われて(笑)。
松本
100年!
山岸
100年早いと(笑)。……あ、100年じゃないです。そこに押井さんの優しさが出てて、「10年早い」って言ったんです。
松本
リアルに「修行が足りない」と(笑)。
山岸
ダークなものの反動で作ったのが『サムライゾンビ・フラジャイル』で、今観ると反省点はあるんですけど、作り終わった当時、自分の中での自信みたいなものはすごいありましたね。

作家の無意識が作品に影響する

松本
ただ、僕が1人の観客として、その3作品……2作品でもいいかな、『東京無国籍少女』と『サムライゾンビ・フラジャイル』のどっちが面白かったか、って聞かれたらやっぱり『東京無国籍少女』って言うかもしれない。
山岸
う~ん、そうなんですよね。
松本
あ、でも僕、自分でコメディやってるから、ちょっと
山岸
厳しく?
松本
やっぱ、そういうことはあるのかもしれないですね。
山岸
分かりやすく言うと、『東京無国籍少女』はやっぱり自分の中の無意識がすごく出た作品で、『サムライゾンビ・フラジャイル』は、意識でしかなく、全部狙いに行っている。それがちょっと、滑っていたりとかもするんですけど。
松本
これの話はちょっと面白いかもしれないですよ。無意識が出るのって、作家、特に舞台より映画かな……名作と呼ばれたり高く評価される為に大事かも、って思ったんです。Dプロの中で、無意識なものが滲み出た部分ってあります?
山岸
無意識なものが滲み出た部分か……。
松本
なんかすごく腑に落ちるんですよ、今。『『東京無国籍少女』は無意識で、自分でも咀嚼しないものが残っていた。サムライゾンビ・フラジャイル』は、全部意識の中で出来た。ちょっと評論家っぽく言うと、意識で作られてる、というのはすごく分かる気がして。もう1個何かが欲しかったのかも知れない。コメディであれ、何であれ。
山岸
うん、そうですね。
松本
それっていうのが、作家が持つ無意識なのかな?ってちょっと思ったんです。
山岸
作品というのは当然、意識下の中で作っていくわけじゃないですか。どうやったら無意識を……

松本
僕も、さっき話した『劇作家と小説家とシナリオライター』にちょっと無意識があったような気がして。作家を描いてるっていうのもあって、自分の投影とか、自分の経験も入っているので、それを今までにない形で並べた構成の面白さは意識でやったんですけど、でも本来ならこうじゃないなってところを「もういいや」って書いたようなとこがあって。僕たちの言葉で言えば、お客さんの感動曲線とかをすっ飛ばしたりしたようなところなんかが、ひょっとしたら良かったのかなって。それが、今言ってる無意識って言葉なのかなって。
山岸
なんかそんな気がするんですよね。だからクリエイターは常に追い詰められてないといけないんだな。余裕がある状態で脚本を、多分締め切りに追われずに脚本書いてもいいものってできない気がするじゃないですか。
松本
何よりね、今まで書いた脚本を小説にしようと思ってるんですけど、締め切りがないんでね、書かない(笑)。
山岸
何より書かないですよね(笑)、終わりがないと始めないんですよね。
松本
そうなんですよ。いつまでも出来上がらないんですよ。その間に次の仕事が来て……みたいな。
山岸
余裕があるときにやろうと思うんだけどね(笑)。

(つづく)