水曜コラム④最速!舞台「KAIRO」公演振り返り

舞台「KAIRO」終演しました!今その打ち上げに向かう電車で書いています。公演の振り返りは毎年年末にやってるのですが、電車が大塚に着くまでの時間で、書けるだけ書いてみよう笑。

僕は脚本と演出をやることの方が多いですが、今回は演出のみ。脚本は、盟友(と勝手に呼ばせて頂く)の細川博司さんでした。細川さんの本を演出するのも久しぶり。

演出だけやる時の僕は、おそらく最初は雑にホンを読みます笑。ざっくり読んだり、役者の声を聞いたりしながらチャンネルを合わせる?探る?ようなところがある。このホンのど真ん中はなんだろうなと考える。

僕はこのセリフだったのではないかと思うんですね。
芥「リンデンバウムのような神様(コンピューターが意思を持つこと)は、そう珍しいことではないのですよ」
乾「それを信じる方が時代遅れだ」

すみません、台詞は正確ではないです。これがこの超未来と謳った物語の、脚本が示したその先の面白さなんじゃないかと思いました。その先というのは、こういう人工知能ものの新しい提示の仕方、といった作り手、書き手側の意味もありますし、人工知能が暴走したら怖いねっていう現代起こりえそうな話のその先といいますか。だから超未来と言ってますが、近い未来の物語のようでもありますよね。近未来。そういう感想も頂きました。
ひとつ、現代性とのリンクをどれくらいにしようかと悩んだセリフがありまして。

椿「このままいけばみんなネットに繋がれて管理されてたって訳だよ」

クライマックス前、リンデンバウムの真相を語ると言ったシーンです。物語中では「電脳ネット」という言葉が沢山使われていて、ここも「電脳ネット」にした方がいいか、椿役の瀬戸さんと色々悩んだものです。ネットだと現代感が強いんですよね。でも脚本はここだけ「電脳ネット」ではなく「ネット」になってる。どれくらい現代とリンクするか、肌触りを感じさせるかの重要な部分ですが、結果電脳はつけずに上記のセリフのままで行きました。

肌触りというのは役者の演技全般に求めたものでもあります。こういう設定の物語はどうしても設定勝ちになりがち。「未来の世界は分かったけど、で?」みたいな感想をもらいがち笑。
わかりやすく言えば人間ドラマです。強い設定や特殊なあれこれに負けちゃうんですよね。今回は音響や照明を結構強め派手めに行きたいと思ってたので、より一層役者の演技や感情がくすまないように、これは繊細に演出したかな。演出したというよりは役者さんと一緒に作り上げたと言っていいでしょう。
最初に僕は台本を雑に読むと書きましたが、役者さんはそうは行きません。難しい単語や難しいカタカナ用語も、理解しないと言葉として発することが出来ませんし(できますけど、浅くなりますし)、砂漠都市「KAIRO」という場所はどんなところでどんなものを食べて、といった想像、もはや創造、そして時間軸が行き来するストーリーの理解など、今回は稽古場でここはじっくりと焦らず時間をかけました。僕は割とせっかち系の演出家かなと思ってるのですが、今回は、待った。一緒に考えた。一度それで稽古場がカオスになりましたが笑、演出家も正解は知らないよというメッセージの元、キャストが皆掘り下げ、作り上げてくれたものが、そう言った人間ドラマに繋がったのではないかと思っています。ウロボロスの意味を千秋楽前日に細川さんに聞いちゃった笑。そこは調べろよ。

演出としてはダイナミックにしていった感じかなあ。そんなにエンタメ作品にしようと思って始めてないのですが、出来上がってみたら結構なエンタメになったなあと思っています。
まずは美術と照明でしょうね。超立体舞台とあのLED照明ですね。照明さんが「舞台美術が強いのでシンプルな照明で行きましょう」と言っていたのが印象的。
地味に演出カラーを決定づけたのは「広く使う」だったかも知れません。細川さんの映画のような脚本は演出用語で言う「エリア芝居」が向いているし、それがより映画っぽさを出したりもします。
今回もそんな感じかなあと思ってたのですが、世界を広げたり、役者がダイナミックに動いた方が感情が出る出る理論(諸説あります)で、あの立体舞台を使ってどのシーンも大きく広げて演出したように思います。
あと音楽はノーラン節(クリストファーノーラン)だったかなあと。解放戦線の東がリンデンバウムに乗っ取られそうになるそれぞれのシークエンス(上記椿の語りもここ)を壮大な一曲でガンガン行ったのは大変気にいっている演出だし、あんまりやったことない形でした。

おっと電車が大塚に着きそうです。まあまあ書けたな。
ご来場心より感謝です。

色々無事に終わってよかったよかった。こういう奇跡は何度あってもいい。それは奇跡とは呼ばないね。人の力です。

トムコラム