長文を書くのも読むのも億劫になってる。
先日妻と雑談している時に「子供の頃、400字の原稿用紙を埋めるの大変だったねえ」といった話をした。作文とかで、行数を稼ぐ為にカギカッコの改行をたくさんやったよね、とか、真ん中の壁(用紙の真ん中にデザインされている柱みたいなレイアウトが、200字書いた先に壁のように立ちはだかる)といった話で盛り上がった。
今400字と言えば、ツイッター3ツイートぶん。楽勝だ。思えば今の子供に限らず大人も、たくさんの文字を書いている時代でしょうな。ちなみに、公演パンフレットのコメントは約1000字くらい。舞台台本は4万字前後である。
4万字はなかなかにすごいけど「長文」を書いているという感覚はない。ブログ書く人があんまりいなくなったように、ツイッターに代表される短文文化、LINEとかもそうか、は加速してると思う。さらに文章より画像、画像より動画、といった簡単さはあるよね。かくゆう僕も長文を読まなくなったし、先日小説を電車で読もうと思ったけど、集中力が続かない自分に驚いた。
短文慣れしちゃってる!!
このコラムを駄文でいいから頑張って更新していこうというのも、そういう短文慣れが良くないなという思いもあった。とにかく無駄にでも1000字以上は書こうということかな。どういうアレかはわかんないけど時代に逆行したいという気持ちもあった。どういうアレだろ笑。このサイトの対談などもとにかく「長い読み物にしよう」から始まったような気がする。短文が流星群の如く流れ続ける中で、じっくり時間かけて立ち止まれるコンテンツとでも言うんでしょうかね。比喩を使って訴えるほど強い想いではないですけど笑。
だから小説読んで愕然としたんですよ。読む体力が落ちてる。いつかこのコラムで「鑑賞体力」みたいな括りで、映画なんかの上映時間が短くなってる話をしようと思いますが、それは確実にあって、世界を変えようなんて思わないけど、自分は少なからず「長文に戻ろう」という気になったのでした。
ということで、ということでもないけど、小説を書いています。一昨年くらいから決意しては断念を繰り返し、昨年ついに自分の舞台作品の小説化を始めました。これがまさに子供の頃の原稿用紙の如く、
進まないんですわ。
一日どれくらいかな、行って1200字、原稿用紙3枚分くらい、本当に小説家尊敬。昔は手書きだったんだしね。コツコツと、本当にコツコツと文字数を増やしています。今年中に一作書き上げる!を年初の目標にしたのですが、早くも怪しくなってきた。
小説で言う「地の文」が難しいんですよ。脚本で言う「ト書き」舞台脚本ではほとんど出てこないト書き。だからでしょうね。書き慣れてない笑。自分のボキャ貧も感じるし、でも書かないと分からなかったからやはり日々挑戦と勉強でしょうな。
だから長文を書く、読む、を復刻させるのは少しは意味があるのかもしれないです。ちなみにこの文章が1235字。原稿用紙3枚分です。