久保田唱×松本陽一(10)
養成所組と専門学校組
- 松本
- 最後に、劇団の話をしたいと思います。劇団は10年目になるんでしたっけ?
- 久保田
- 2016年12月20日で丸9年になるので、2017年が10周年になります。
- 松本
- 今何人いらっしゃるんですか?
- 久保田
- 役者が14人と僕と制作2人で、17人ですね。
- 松本
- まあまあな所帯の大きさですよね。うちもそれくらい居たんですけど、そこからずいぶん減らして今の7~8人の規模に。立ち上げたきっかけは何だったんですか?
- 久保田
- 僕、実際に作る前から劇団作りたかったんですよ。養成所に入っていて、最初は映像を作りたかったんですけど、舞台のほうがいいなって思い始めて。
- 松本
- それは作家として?役者として?
- 久保田
- 最初に舞台に魅力を感じたのは、役者としてなんですけど。
- 松本
- その養成所は、役者の養成所?
- 久保田
- そうです。舞台を作る方はあんまり教えてないんですけど。でも自分で作りたいと思い始めたんですね。その養成所で沖野と出会ってるんです。僕が17で彼が16だったんですね。初めて会った時。
- 松本
- その養成所で?高校生ですよね?高校とは別に養成所に通っていたんですね。
- 久保田
- ええ。彼はその後、専門学校に行ったので養成所を辞めたんですが、一緒に小劇場系の手伝いをしていたんです。外でやってることの方が魅力的に見えていた時期だったので、小劇場系の繋がりで彼を紹介して、僕がスタッフで仕事をしてる作品に沖野が出演したこともあります。その頃良く見に行ってたのが、佐藤修幸さん達のDMFの前身のDear My Friendでした。外でやってることの面白さを感じて、自分もこういう事を出来ないかな?と思って、ちょっとだけ書き物のことをやっていたので、脚本を書き始めて。
- 松本
- 17とか?
- 久保田
- その時には19とか20とかですね。養成所の所内公演もやっていました。僕もその頃、養成所を…まぁそこでずっとやっていこうと思えばできなくもなかったんですけど…なんかここじゃないから辞めようと思っていて、その時に所内公演でやっていたのが『レプリカ』でした。その『レプリカ』を沖野が見に来てくれて、「俺、今度卒業だから、劇団を作らないか」っていう話をしてくれて。沖野は専門学校に行っていたんですけど、3年目で卒業になるタイミングだったんです。「ちょうどやろうと思ってたんだよ、俺も」ということで、その年に劇団を作ったわけです。最初にやったのが今度やる『Re:call』っていう作品で…、
- 松本
- これ、『Re:call』見に行きたくなりますね。
- 久保田
- 沖野が専門学校の知り合いを何人か連れてきてくれて、僕の方も養成所の知り合いを何人か呼んだんです。今でもボクラ団義の劇団員は、養成所組と専門学校組の2つで何人かずつ分かれたりしますね。
- 松本
- 派閥!?
- 久保田
- いや、派閥じゃないんですけど(笑)。
- 松本
- 旗揚げメンバーは今でも結構いるんですか?
- 久保田
- 減ってきましたけど、第一回公演に出ていた人は何人か居ますね。大神拓哉とか。それこそ大音文子はその時から制作をやっていて。それから、春原優子。
- 松本
- 春原さんも旗揚げメンバーなんですね。
- 久保田
- 春原は、養成所の先輩です。
- 松本
- え、先輩???あれ?
- 久保田
- 年齢は2コ下なんですけど、先に養成所に入っていたのでキャリア的に先輩です。今居る養成所組の中では僕が一番後輩なんです。平山空も先輩です。沖野晃司も3ヶ月ですけど先輩です。
- 松本
- へぇー。現在の主要メンバーは第一回公演に出てたんですね。
- 久保田
- そこから、同じ専門学校だった繋がりで、第二回公演で添田、内田、福田、あと辞めちゃいましたが福丸も入ってきて。
- 松本
- あれ、まだ竹石君の名前が出てきてない?
- 久保田
- 竹石は結構後なんです。沖野らと専門学校の同級生なんですけど。しばらくは見に来る側でした。第二回公演の時には大体今のメンバーに近い感じになって、そこから何人か増えたりして、第七回公演をやる時に沖野が竹石を紹介してくれたんです。顔合わせの前日に居酒屋で話をして。言い方的には、僕が某J事務所の社長みたいな感じで「明日から来ちゃいなよ!」って感じで(笑)。
- 松本
- 竹石君も某J事務所のあの人に似てるしね(笑)。
- 久保田
- それで実際翌日から来てくれて、そのままその公演に出て、今に至るという。
劇団員とワクワクしたい
- 松本
- はっきりとは知らないんですけど、割と早い段階で大阪公演をやっているって本当ですか?
- 久保田
- 本当です。第八回公演だったので、4年目かな。
- 松本
- 結構な挑戦ですよね。お客さんは順調に増えていたんですか?
- 久保田
- そこまで順調ではなかったですよ。当時僕がアルバイトしていた時の上司、取締役の偉い方に魅力を感じていて、その人の「常に誰かをワクワクさせなきゃいけない」という教えに影響を受けたんです。僕が提供できるワクワクすることってなんだろうな?と考えて。動員もちょこちょこ増えているけれど、ガツンと増えたわけじゃない現状でワクワクすることって地方公演だなって思ったので、「来年は地方公演をやります!」って劇団員に言ったんです。
- 松本
- まずは劇団員をワクワクさせようってことですね。
- 久保田
- 言い切ったからには実現しないといけないので、その先は、失敗させないためにどうしていこうかって考えにシフトしました。まずはやろう!って。
- 松本
- その時に東京での動員はどれくらいでしたか?
- 久保田
- 900くらいかな。1,000いかないくらいです。
- 松本
- それでも相当集めてますね。
- 久保田
- ボクラ団義の公演って、第一回が360人とかで、第二回でいきなり700ちょいだったんです。
- 松本
- すごいですね!
- 久保田
- あれは初舞台フィーバーみたいなものだったんですよ。
- 松本
- うちは500人超えるのに、物凄く時間が掛かりましたから。ちなみにうちの劇団は、既に代変わりしていて、旗揚げした代表も既に居ないですし、旗揚げメンバーも残ってないんです。僕が入って数年は趣味の延長みたいなものだったんですけど、ちゃんとやろうってなって、チラシとか作って制作を一手に引き受けて、500人超えたんですよ。それまで200~300だったので、500を超えるっていうのがすごく思い出になってます。次の1,000人を超えるのにまた苦労しましたけどね。
- 久保田
-
当時の初舞台フィーバーで700人超えたので調子に乗っちゃったりしたものの、その後下がっちゃって。600はキープしましたけど…。
そこからなかなか抜け出せず、どうなるんだこの劇団!?みたいになりつつ。何か起爆剤になるきっかけが必要だねという話になったんです。
- 松本
- そういう時期だったんですね。
- 久保田
- その前の第七回公演が800に乗ったのかな。最初よりも増えたな、って思えた時期で、ちょっとここで勝負をかける…いや、勝負を掛けるつもりではなかったんですけど、さらに広げようって考えたのが地方公演だったんです。大阪の劇場について知らなかったので、京都出身の大音がいたこともあり、つてで探して劇場を押さえました。
- 松本
- ちなみにどこで?
- 久保田
- in→dependent theatre 2nd です。
- 松本
- セカンドって小さい方?
- 久保田
- いや、大きい方です。
- 松本
- どうでした、大阪公演は?
- 久保田
- いやー、赤字でしたね。実際300人入らなかったんじゃないですかね。270~280くらい。僕がその時、宣伝活動をしに行ったんですね。東京公演から二週間、間があったので、一週間僕が先に行って、チラシを配ったり置いてもらえるお店を探したり、アルバイト先が大阪にも支店があったのでそこで働きながら。昼は宣伝、夜は居酒屋、泊まるところはバイト先の料理長が同い年の友達だったのでそこにお邪魔して。
- 松本
- はぁー!単身乗り込んでたんですね。他の劇団員はまだ東京にいた?
- 久保田
- 大音は一回来て、一緒に回ってくれました。アルバイトも大阪の文化を学ぶきっかけになったので面白かったです。呼び込みが結構得意だったので任されたんですけど、外だから道を聞かれたりして。知らないのに(笑)。でも、そのお店の人も見に来てくれたりしました。いい経験でしたね。
- 松本
- でも、劇団員に対してワクワクや起爆剤っていう考えは面白いですね。僕も似たような思いがありますね。それがあるから続いている面もあります。お互いに飽きたら終わりじゃないですか、劇団って。劇団の本公演をやるってなった時に、演目とか題材も含め、ずっとワクワクしていたいなと思います。長いことやっていますけど。だから同じ発想かなって思います。
(つづく)