山岸謙太郎×松本陽一(8)

※2019年11月25日、某所にて

山岸謙太郎×松本陽一(8)

人任せはダメだと学んだ未完の第一作

松本
事故の話は知っていたんですが、そんな最初だったんですね。
山岸
ええ。
松本
発足第一作が、結局お蔵入りというか。
山岸
そうですね。HIDE’S LOVERだっけ?
ゆえ
HIDE LOVERS
山岸
ああそうだ、『HIDE LOVERS』っていうお話でした。恋愛サスペンスで。
松本
HIDEって、ヒデさんってこと?
山岸
そうヒデさん。
松本
ヒデさんのラバーズ?
山岸
そうです。ヒデさんという男の子がいて、この人を好きな人達のグループなんですよ。たぶん、三谷幸喜の名前は知らないにしても『12人の優しい日本人』(脚本三谷幸喜・舞台1990年/映画1991年)とかの影響を受けてて、若干そういう臭いがする作品。
松本
うーん。
山岸
その……出てこないでんすよ結局、ヒデっていう人は。出てこなくって、その大好きな人について、みんなで話してて……。
松本
『桐島、部活やめるってよ』(著者朝井リョウ・小説2010年/映画2012年)方式だ。
山岸
あー!その方式です!それで、誰かが抜け駆けしてどうやらヒデに恋人ができたらしいってなって、この中の誰かが抜け駆けしてるんじゃないかって展開になって、ちょっとサスペンスっぽくなっていく話です。
松本
それ、何分ぐらいなんですか?
山岸
1時間をちょっと超えるくらい?
松本
あ~、結構長い。
山岸
ちゃんとした長編を撮ろうとしてた。
松本
自主制作映画で1時間は長いよね。
山岸
どうやら僕が交通事故で入院してた時も、メンバー達が頑張ろうって言って、みんなで集まって撮り始めてくれたんですよ。僕は病室から絵コンテを描いて送り続けてたんです。
松本
へぇ~!なんかちょっと感動しますね。
山岸
そうなんだけど、結局完成しなかったんですよ。僕は最後まで絵コンテを書き上げたんですけど、最後まで撮ることはできなくて、どこかでいつの間にか終わってた。
松本
詳しいことはわからないですけど、よくあることなんでしょうね。僕も映画学校時代に、人間関係で揉めて未完に終わった作品があります。
山岸
ありますよね。僕が退院した後には、インターネット上で集まった自主制作映画のグループがいくつか出来てたので、以降はそういうところに顔を出してたりしてたんですよ。いわゆるmixiのコミュニティですね。
松本
だいぶコミュニティが発達した頃ですね。
山岸
僕は4つぐらいのグループに顔を出したんですけど、1つも完成してないんです。それで、やっぱり人任せはダメだ、自分で作らないと完成しないなと思ったんです。じゃあとりあえず短編を作ろうか、ってなったのが『ビックリ・シャックリ』です。
松本
名前は聞いたことがある。
山岸
15分ぐらいの短編だと思います。自宅に届いた宅配便の箱を開けたら、でっかいスイッチが入っていて、スイッチを押したら主人公のしゃっくりが止まらなくなって、説明書を読んだらしゃっくりが100回に達するとあなたが爆発しますって書いてある。
松本
あのね、正直に言うと、クソつまんなそう(笑)。当時、自主制作映画でありそうな感じですよね。
山岸
あっはっはっはっは!それで、みんなで主人公のしゃっくりを止めようとする話なんです。

松本
その短編は完成したんですよね?
山岸
完成しました。
松本
その時のメンバーは、プロジェクトヤマケン横浜支部という名のプロジェクトヤマケンだった訳ですか?
山岸
はい。残ってる人といなくなっちゃった人がいますけど、当時集まっていたプロジェクトヤマケンの人を再度集めて、そこに少し新しい人を足してっていうメンバーでしたね。
松本
その辺からやっぱり自分で撮ろうって意思があるから、リーダーシップを率先して取るようになってきたんですかね。
山岸
そうですね。その頃だとトマトスープさんがギリギリ居たか居なくなったかぐらい。短編を作ろうっていう話をしてた時には居たけど、『ビックリ・シャックリ』を撮り始めた時には居なくなってました。
松本
この対談を見て(トマトスープさんが)名乗り出たら面白いですよね。
山岸
面白いですね。僕、トマトスープさんの顔覚えてるかな~。

もう1回ちゃんとやる、今度こそ本気出す!

松本
事実上『ビックリ・シャックリ』がデビュー作ってことですか?何歳ぐらいです?
山岸
そうなりますね。20代前半……事故った時が23歳だったかな。
松本
でも、(プロジェクトヤマケンが)1999年から始まってるから、そんなもんですよね。
山岸
24歳ぐらいですね。『ビックリ・シャックリ』を作って、それが完成して、改めて見たわけですよ。あのね……つまんなかった(笑)。
松本
ふふふ。
山岸
クソつまんなくて、あ~~~って思って。そりゃそうなんですよ、今の僕じゃ考えられないですけど、脚本は別の人が書いたものがあって、それを僕がちょっとアレンジして、撮影して、お昼休みにラーメン食べに行って、そこでビール飲んじゃってますからね。役者も俺も(笑)。ビール飲んで帰ってきてまた続きを撮って、みたいな。結構いい加減に、何も考えてない感じで撮ってましたよね。まあそりゃあ(出来上がるものは)面白くないんですよ。でも、面白くなかったことが悔しかったんです。
松本
失敗から始まる、みたいな。
山岸
元々『HIDE LOVERS』を撮ろうとしていたけれど自分の事故のせいで撮れなくなってしまって、戻ってきてプロジェクトヤマケンが無くなっていて、それは悔いが残ると自分でも思ったのでやっぱり映画を一本撮ろうって思ったんです。他のグループにも行ってみたけど、やっぱり自分で作らなきゃって思って、自分で作ったんだけどそれが面白くなかった。だから、『ビックリ・シャックリ』で辞めるつもりだったんですけど、もう1回ちゃんとやる、今度こそ本気出す!みたいな感じになって、そこで初めて映画の本を読み始めるんですよ。
松本
ここから映画道が始まってるんですね。
山岸
そうですね。ごっこ遊びではなく、ちゃんと映画に向き合い始めた。
松本
その頃には、ゲーム熱は冷めてたんですか?それとも、ゲームよりも映画に比重が変わったとか。
山岸
いや、『ビックリ・シャックリ』を作っていた頃は、足が悪くて外に出歩けないのをいいことに、始まったばかりのオンラインゲームにどっぷり浸かってました。僕は完全にウルティマ・オンラインの住民でしたね(笑)。
松本
もうオンラインゲームが始まってるんだ。なんだかインターネットの歴史と共に歩んでいる対談ですね。
山岸
そのオンラインゲーム上のRPGのファンタジー世界でゲームをやりながら、ゲームの内容とか出会った人とのやり取りなんかをゲームプレイ日記としてWebにアップしてたら、それが結構人気があって。やっぱり物語を書くというか、そういうことはやっぱり好きで続けていたんです。一旦そこでゲームに熱中したりしてましたけど。『ビックリ・シャックリ』を作ってみて、なんかな~って思って。脚本を書いたりもしてたから、自分の中で、映画なんて簡単に作れるって思っていた部分があったんですよね。
松本
うん。
山岸
脚本の書き方なんて一度も勉強したことがなくて、ただただ書いてただけなのに。そこで初めて映画の作り方っていうのを勉強して、こうやってやるんだって気付くんです。香盤表(各シーンごとの登場人物や衣装・小道具などが書かれた資料)って物を初めて知って、当たり前なんですけどスケジュールをちゃんと組まなきゃいけないんだと。撮影スケジュールの組み方知っていき、簡単ですけどキャストオーディションをやってみたりとかして、ちゃんと作ったのが、次の『逃想少年』(2002年)っていう作品なんですよ。

何で見たことがある絵にならないんだろう?

松本
これはどんな話なんですか?
山岸
この作品には面白いエピソードがあって、まずこれは脚本が僕じゃないんですよ。主人公を演じている橋本栄二(はしもと・えいじ)くんが書いたんですけど、うだつの上がらないフリーターの家に銀行強盗3人がやってくる。男一人女二人で、今カノと元カノが一緒にいる話なんです。
松本
(おや?という表情になる)
山岸
ははは、そうなんですよ。これが後に『三十路女はロマンチックな夢を見るか?』(2017年)の元になる話なんですよ。
松本
何か聞いたことあると思った。へぇ~すごい。商業映画で昇華させたってことですね。
山岸
なんか自分の中で残っていて、それをやりたいなって思ったんです。『逃想少年』はスケジュールを立てて、予算を組んで、すごくしっかり作りました。……これもあんまり面白くなかったんですけど(笑)。でも、頑張ったんですよ!
松本
これ何分ぐらいでしたっけ。
山岸
これは1時間ちょっとくらいじゃないですかね。今もヤフオクとかAmazonで『逃想少年』を探すとDVDが出てきます。もう生産されてないので、ワゴンセールに出ているやつとかレンタル落ちとかを探さないといけないんですけど。(制作行程は)割と頑張ってます。ただやっぱり、インディーズ映画を作っているっていう意識がなかったので、なんでテレビでやっているドラマみたいにならないんだろう?映画みたいにならないんだろう?って思ってました。

松本
僕も、映画をかじった人間なので、何で見たことがある絵にならないんだろう?なんでこんなにしょぼいんだろう?っていう悩みから始まりますよね。
山岸
そうそうそう!それが後々、カメラの性能であったり、照明であったりとか美術の作り込み、構図が違うことに気付いていくんですよね。この時は自分のセンスだけで撮っているじゃないですか。技術的なことは何も知らないんですよ。本を読んだって言っても1冊や2冊な上に、比較的演出家寄りの、編集と演出みたいな内容しか読んでいなくて、技術的なところには至っていなかった。
松本
なるほどね。
山岸
『逃想少年』を撮り終わって、下北沢のトリウッドという映画館で上映までちゃんとやってるんですよ。まあやっぱり「よく頑張ったね」っていう感想がほとんどで、自分としてもよく頑張ったとは思うけれど「……なんか違う」という思いは拭えなかったですね。
松本
「よく頑張ったね」って言われるのって、ちょっと悔しかったりしますよね。
山岸
悔しいですよ。「頑張ったね」は一番悔しいです。だから、その時『逃想少年』を一緒に作っていた石田肇(いしだ・はじめ)っていう奴に「普通の人の話じゃなくて、スターウォーズみたいなの作ろうぜ」って言われて、「あ、そういうことか!」って思ったんですよ。別に俺はこういう話を作りたいんじゃなくて、元々マンガが好きなんだし、もっとエンターテイメントっぽいもの、自分が作りたいのはそっち側なのかな、って考えて、「いいね!じゃあ何か一緒に作ろうよ」って考え始めて、そこで出て来たのが『キヲクドロボウ』(2007年)なんです。

(つづく)