脚本家の話

私の職業は演出家と脚本家なのですが、最近少し脚本だけの仕事が増えて、というか続いたので、脚本という仕事をふと考えてみた。

脚本だけ、と書いたのは、普段私は舞台作品ではだいたい脚本と演出をやっているからです。つまり自分の書いたホンを自分で演出してるというやつです。数年前から演出だけ、つまり脚本別の方という仕事も頂くようになりましたが、数でいえばまだ少ない。ただこれは楽しいですね。脚本家さんとの相性とかいろいろあるんだろうけど、演出してるな〜!という充実感はこっちのほうが強いね。

昨年「プリモピアット〜美味しい関係〜」という朗読劇の脚本の一編を担当させて頂き、これは企画ものではありますがクジカンキカクの脚本、そしてまさに来週から始まる「ごめんなさいが言えない人々」と舞台作品での脚本だけ担当作品が続きますややこしい。

今撮影している映画「Dプロジェクト」も監督は山岸謙太郎さんなので、私は脚本だけです。たまに「演出に関わったりしてないんですか?」と質問されますが、まったく関わってません。ずっとメイキングで現場に張り付いてるからそう思われたのかな。あと、これはDプロだけじゃなく「演出に口出ししたくなりませんか?」と聞かれることもあります。舞台作品とか特に。
それもないですね。世の脚本家さんはどうなんだろ。脚本家オンリーの方はけっこう思うところあるのかなあ。僕は、完全にお渡ししたらあとは煮るなり焼くなり、具体的に言うと台詞を変えるなり構成を変えるなり好きにしてくださいとお伝えします。まー僕が演出する時はそうだからね。自分の脚本でも他の方の脚本でも、稽古場でうまくいかないところは足し算引き算おおいにやりますから。それでよくなったシーンを脚本家さんが見て喜んでくれたら、よし!って思いますね。

あーでもね、以前脚本を書いた短編ドラマで物申したいことはあったなー(笑)
その脚本の肝は(監督のアイデアね)、衣装や台詞の雰囲気も時代劇のように物語途中まで見せて、物語真ん中で実は現代の人里離れた場所だったんだよ、っていう意外性を見せるストーリーだったんですけどね、物語序盤でがっつり現代の風景が遠くに映ってて、話が違うやん!メインコンセプトだったやん!と思ったことはあります。TSUTAYA新宿店に出向き、かなり邦画の時代劇研究したのに、雑!って思っちゃったてへ。

えーと話戻して、こういうことは脚本家ならままあることなんだろうけど、私はお渡しした演出家さん監督さんを信じて何も口出ししません。

先日、はっとした面白い感覚があったんです。GW前に今撮影しているDプロジェクトの読み合わせがあり、いよいよ物語も佳境なので、脚本家としてこだわったり苦労したクライマックスシーンのいくつかを読み合わせしたんですよ。クライマックスシーンがいくつかっておかしいけど。大事なシーンね。

その風景もメイキングを回してたんですが、単純にものすごくドキドキしてワクワクして楽しかったんですね。自分の書いた脚本に。いくら自信のある脚本だったとしても、普段舞台作品の読み合わせとか、こんな風にはならんぞ、と。そこであーと思ったのですが、脚本の仕事はもう終わってるから、なんだかお客さんのような気持ちで、役者の熱演を見れたのかなあと。演出やってたら、いくらフラットに見ようと思ってもなんらか仕事スイッチ入ってますからね。

なんのプレッシャーもなく物語を見れたのかなあ、と感心したのでした。あ、その読み合わせで脚本家としてひとつだけ仕事しました。台詞の中に「背後から」ってフレーズがあって、あ、普通の会話にあると不自然なんだなあ、警察っぽい説明になるなあと思い監督に進言しました。そんだけ。

間もなく開幕の「ごめんなさいが言えない人々」も、稽古はおろか読み合わせすら聞いてません。まあ同時に私演出舞台の稽古が始まったからってのもありますが。だからとても楽しみです。なんなら今自分の現場「ペーパーカンパニーゴーストカンパニー」#ペパカンよりも#ごめん人 を検索してチェックしてるくらいだよ(笑)

脚本はよく子供に例えられますがね、あーこんな成長を見せたのかーとか、思ったよりパンクなやつになったな、とか、それは脚本家のひとつの楽しみかなと思います。

Dプロジェクト読み合わせ立ち稽古の様子

「ごめんなさいが言えない人々」は6月7日(水)初日だよ。詳細は「最近の松本」を見てね。

トムコラム