水曜コラム①「世界観ってなんだろう」

世界観ってなんだろう。

最近よくワークショップや現場でも使うんですよね「世界観」って言葉。改めて考えてみるとまあ曖昧な言葉よ。なんとなく伝わるし。文字通り「世界の雰囲気」とでもいうのか、その「世界」っていうのがまた広い言葉ですよね。物語において世界観とは、やはりその世界の大元となるもの、みたいなイメージで使いますね。「近未来の世界観だから」とか「この世界観では時事ネタギャグはスベるな」とかね。でも「この作家の世界観は」といった使い方もしますね。でも「この俳優の世界観は」とはあんまり言わないな。とどのつまりは世界観は、

広めの何か?

でも作家は広くて俳優は狭いっておかしいよね。先に書いておきますが、このコラムにオチや結論はありません。

考え方や大きなルール、イメージみたいなことを共有するための言葉。世界観。

僕はワークショップで、
世界観→人物→台詞
という三層が物語にあるよ、と言っています。そして俳優はその層を何度も行き来しながら作品や人物を理解しなさいよと。

でもそれを理解する過程で、理解しようとする人の「世界観」が入ってくるんだよね。これが面白くもあるところです。それは俳優の世界観(価値観と言い換えると分かりやすいな)であり、小説であれば読者の、演劇で言えば観客の世界観が混ざり込んで物語は完成すると言ってもいい。となると大元の世界観とは、

ベースとなるもの。

といったことでいいのかな。近未来の世界はこうだ!という決められたルールのようなものを世界観と呼んでしまったら、演出も俳優も観客も息苦しくなるのかな。広がれ、世界、みたいなこと?

と言った訳で今細川博司さん脚本の「KAIRO」という作品を稽古しています。細川さんのホンは世界観が凄いから、ほら、こういう便利な使い方をしちゃうのですよ、ちょっと世界観について書いてみました。

でも細川さんのホンは「世界観」という言葉が良く似合う。あと世界観は細部に宿るとは細川さんの言葉だっただろうか。上に書いた三層の話も、たった一行の台詞を理解したら人物や世界が分かり、逆に世界がわかったら一行の台詞の本当の意味がわかる、みたいな使い方をします。日本という国はどんな国ですかと聞かれて「醤油の香り」みたいな答えが出ると面白いよね。小さなディティールの積み重ねが世界を作るのもまた真理です。じゃあ演出する時に「世界観がさあ」というのは違う気がしてくるね笑。あんまり便利に使わないようにしようかな、世界観。

水曜コラムは毎週予定ですが不定期更新です。

トムコラム