山岸謙太郎×松本陽一(6)

※2019年11月25日、某所にて

山岸謙太郎×松本陽一(6)

就職しない選択肢

山岸
僕は「ゲームクリエイターになりたいんだ」って言ってゲームの専門学校に進むんです。
松本
ちょうど、ゲームクリエイターみたいな仕事は、走りか、盛り上がってきたかの時期ですよね。
山岸
そうです。今まで多分ゲームクリエイターって仕事はなくて、そういう言葉が出来始めて、専門学校も初めてゲームの専門の科が出来たんです。僕はそこのほぼ一期生みたいな感じでした。そこで今度は企画を学んだんですよね。ゲームの企画の立て方、みたいなものを教えてもらって、それが今、映画の企画を立てたりするのに役立ってる気がしますね。
松本
ちなみにどういう立て方なんですか?
山岸
どういう立て方……いわゆる企画書のフォーマットみたいな。
松本
企画書の書き方。
山岸
そうですね。コンセプト、まず自分が何をやりたいのか、なぜそれを作りたいに至ったのか、みたいなものを書いたりとかして、その企画書を持って行くと、先生が「これだとわかりにくい」とか「これだと別に誰でも考えるよね」みたいな。
松本
あぁ、一緒ですね。ドラマとか映画の企画書と一緒(笑)。
山岸
そこで僕が先生に言われて未だに覚えてて、今も大事にしてる言葉があるんです。「山岸、ゲーム作りたいんだったらゲームばっかりやるな」って言われたんですよ。「ゲーム作りたい奴はみんなゲームやってゲーム作ろうとしてるから、みんな同じもん作ろうとするんだよ」と。だからサーフィン行ったりとか、山登ったりとか、お前が普段しないことをやって、そこで何かを感じて、それでゲームを作りなさいと。
松本
これよく言われることですよね。手塚治虫さんが「マンガを読まずに映画を観ろ」って言ったみたいな。
山岸
そうそう。そうやって専門学校で、プログラムを学んでゲームを作ったりしてたんですけど、結局その後僕はどこにも就職せずに、フラフラと。
松本
就職出来ずに、ではなくて、せずに?
山岸
実はゲームのメーカーにはアルバイトとして入ってたんですよ。プログラマーをそこでやっていて、別にいつでもここに就職できるって考えが自分の中にあったんです。すごく小さい会社だったんで、今ここで僕がいなくなったら困るだろうし、就職したいって言ったら就職できるだろうし、だったら別にいいか、みたいな感じでしたね。
松本
ちょっとリーダーシップの片鱗が見えてきたというか……
山岸
はははは。
松本
監督の片鱗が生まれた感じなのかな。
山岸
僕が元々子供の頃から、家具屋を継ぐって思ってるじゃないですか。自分が会社員になるっていうイメージがないんですよ。
松本
そういう意味では英才教育だったかもしれないですよね。
山岸
そうですね。特に僕が一番見てたのはおじいちゃんがトップだった時なんで、子供ながらにおじいちゃんを見てた時に、おじいちゃんの社員さんとの関わり合い方みたいなのを見てて、自分もいずれそういう風にしなきゃいけないんだとか、カミヤマさんっていう凄く良い従業員さんがいらっしゃるのに、おじいちゃんはその人に凄く厳しく言う、僕だったら絶対そんなことは言わないと思いながら見てたりとか(笑)。カミヤマさんのいいところをおじいちゃんはわかってない、みたいなことを思いながら見てたりとかしてたのはすごくあるんです。もしかしたらそういうことなのかもしれないですね。

今作りたいものを今すぐ作りたい

松本
専門学校を出て、ゲーム会社のアルバイトをしていて、就職はしなかった。
山岸
えぇ。会社員になるって考えがなかったんで、僕はそこでは結局会社員にはならず。結局そこのゲーム会社の人とも喧嘩別れしてしまって、その後はアルバイトでパソコン教室の先生をやっていて、ここでもゲーム作ってるんですよ、『RPGツクール』で。
松本
ああ、そんな名前のやつがありましたね。
山岸
あれのパソコン版ってスクリプト……簡単なプログラムが組めるので、結構凝ったことが出来るんですよ。それで後輩と二人でずっとゲームを作ってましたね。あとはアドベンチャーゲームとかも作ってましたね。
松本
それはもちろん楽しいから作るっていうのもあると思うんですけど、やっぱゲームで一山当てたい!みたいな思いはあったんですか?
山岸
やっぱり、一山当てたい、ゲームクリエイターにはなりたい、と思っていて、ただなんか就職に向かってまっすぐに行けない自分がいて。
松本
そうですよね。あのゲーム会社にいたほうがゲームクリエイターの道としては、近いはずなのに。
山岸
そうそう、そうなんです(笑)。
松本
パソコン教室のアルバイトは、ゲームクリエイターへの道からはちょっと外れてるますよね。
山岸
多分僕は昔からそうなんですけど、やりたいことを間接的にできないんですよね。ゲームを作りたかったら、ゲームを作る真ん中に最初からいないと嫌なんです。アルバイトをやってても思ったんですけど、今自分が組んでいるプログラムが、その時はレースゲームのプログラムを組んでたんですけど、レースゲームのプログラムではなく、レースゲームのアクセルのボタンを押した時の挙動のプログラムだけを作ってたんですよ。要するに加速の仕方がいかに本物っぽくなるか、みたいなプログラムを組んでた。僕の中では「これはゲームを作ってるんじゃない」って思うんですよ。
松本
あ~、メインクリエイターじゃないと嫌だ、いうことですよね。
山岸
そうなんですよ。
松本
例えば、背景だけを作る人みたいな仕事があって、自分が作りたい場所はここじゃないけど、会社でそれをやるには、ある意味下積みというか。
山岸
そうですね。
松本
下手したらそれをずっと一生やらなきゃいけない可能性もある、みたいなことですか。
山岸
今思えば、加速の挙動なんて、レースゲームの中では相当花形の部分なんですよ(笑)。
松本
結構コアな部分を任されてるのに(笑)。
山岸
でもやっぱり、僕が最初からこのゲームをデザインしたい、みたいな思いがあって。
松本
あ~やっぱり、最初を作りたい人、なのかな。
山岸
就職する選択肢がそのアルバイトを経てなくなってしまったので、地道に時間をかけてそこまで行くっていうことを考えなきゃいけないんですけど、それが考えられなかった。だけど、今僕が思い浮かべているゲームを今すぐ作りたい。なので『RPGツクール』でゲームを作るのがてっとり早かったんですよね。
松本
ある意味、それはもの作りとしてはピュアな部分と言ってもいいですね。さっきの上田さんのピュアさとはまた違う形で。つまり、将来のビジョンとか、会社の大きさとか、そういうことじゃなくて、今作りたいことを作るんだ、で生きていた頃、ということですよね。
山岸
そうですね。ここにあるんですよ(資料を出す)。当時のゲームのやつとかは多分あると思う。こんなの書いてたんだなぁ、もうどれが何だか分かんないけど。
松本
よく残ってましたよね。

山岸
なぜかね。しかも横浜に持って来てるっていう。
松本
紙だから残ってたのかもしれませんね。
山岸
データだと一歩間違えると消えますからね。(資料を指しながら)このおじさん、いっぱい書いてあるなぁ。課長って書いてある(笑)。
松本
ストレッチャー(救急用の患者搬送ベッド)までちゃんと書いてありますよ。すごい。
山岸
俺、こんなにちゃんと書いてたんだ。
松本
僕は詳しくは知らないんですけど、『パトレイバー』の時代のアニメ感に影響を受けてますよね。
山岸
そうですね、今見てる資料の中にも『パトレイバー1』の構図そのまんまだろうってマンガもありましたし、影響は大きいと思います。
松本
この辺のキャラ造形とかも、なんかちょっと当時のアニメっぽいというか……。
山岸
(資料をめくって)これは別のゲームかな~。

松本
じゃあ当時は、ゲームクリエイターが目標だったんですね。まだ20代?
山岸
ええ、20代はゲームクリエイターになりたかったです。
松本
そろそろ映画との出会いが来ますか?
山岸
そろそろ来ますね。むしろ、映画との出会いはプロジェクトヤマケンが始まるのと同時なんですよ。プロジェクトヤマケンが1999年に発足していて。
松本
だから、えーと、20年前。(インタビューは2019年末)
山岸
ちょうど20年前。あ!プロジェクトヤマケン20周年記念みたいなこと何も誰もやらなかったな(笑)。
松本
重ねるにはいいタイミングでしたね(笑)。
山岸
20周年記念作品が『ディープロジック』じゃん!って(笑)。
松本
20周年の冠にしちゃえばいいじゃないですか。
山岸
そうですね。
松本
公開日だと、1年ずれてますけど。(2020年1月18日公開)
山岸
そっか(笑)。

(つづく)