今年一年振り返り④「ミキシングレディオ2020」

6月
6番シード「ミキシングレディオ2020」
脚本・演出

ホームである6Cの本公演です。本公演は第70回だそうです。すごいな。
さて、この公演は本当に紆余曲折がありました。まず開催できるかが瀬戸際の公演でした。結果から言うと開催できたのですが、他の演劇や団体が軒並み公演中止を発表する中、緊急事態宣言が明けてから、ほぼ一発目的な、トップバッター的な、ジャンヌダルク的な?立ち位置での公演となりました。
開催できたのは色々な幸運も重なっていました。
・ビジュアル撮影が3月末に終わっていたこと
・緊急事態宣言明けから稽古してもギリ間に合う公演日程(1週早ければ断念してたと思います)
・再演だった
・中止する場合の金銭的な損失は、いつ判断しても変わらなかった。だから決断をギリギリまで引っ張れた。

などがあります。最後の項目はけっこう切実に大事で、早めに中止を判断することでキャンセル料の減少や製作費の損失を抑えることが出来ます。そういった理由で早めに中止を判断した団体さんはたくさんあると思います。うちの場合は美術を作り出すかどうかの判断すら宣言明けまで待ってもらったので(演劇界全セクション止まっていたので)、ギリ待ちが出来た訳です。

劇団ではミーティングを何回だろ、5〜6回は重ねましたかね。リモートでね。4月末にミーティングしたら緊急事態が5月まで延長になり、そこで一度中止に傾きました。チケット発売日を遅らせて社会の様子を見守る日々。4月5月の演劇公演はほぼ全中止だったんじゃないかな。感染者数も順調に減り、どうやら6月には解除されそうだとなり、最後のミーティングを開きました。
6月に解除される前提(されなければ中止)で話し合いましたね。お客様のこと、出演者のこと、自分たちのこと。僕が開催できるかなと思ったのは、すごく具体的ですが制作島崎が考案した「客席と客席の間に仕切りをつける」と私が提案した「舞台前面に飛沫防止シートを張る(その後アクリルパネルになります)」でした。シンプルにコンビニや飲食店を見ていて、これで感染リスクはかなりなくせるという自信が生まれたのです。最終的にはキャストはフェイスシールドを着用して上演しました。その後わりとスタンダートとなっていく演劇界の感染予防策です。アクリルパネルも何件か貸し出しました。ミキシングのコロナ対策のあれこれはこのコラムを遡ってもらうと当時書き残したものがあるのでご覧ください。

でも最後に必要だったのは、勇気です。カッコつけてますかね、でもシンプルにそうです。やるか、やらないか。責任取る腹が決まったかどうか、だったように思います。責任というのは感染者を出さないということでもありますし、お金のことだったりもする。だからその責任をしっかり考えて公演を中止にした団体さんや主宰さんもまた勇気が必要だったと思います。
そう考えるとまあシンプルですね。やる、に舵を切っただけと言ってもいいです。ただタイミングが絶妙に難しい時期だったということです。でも今考えると感染者数など一番少なかった時期なんですよね。皮肉なものです。

さてそうやって決断したら、キャストさんも熱い思いで集まってくれました。そこからはひたすらこれでもかってくらい稽古場でコロナ対策コロナ対策の日々。詳しくはさっき書いたようにこのコラムを遡ってくださいね。
不安は私もキャスト全員も強かったと思いますが、そうやってみんなで徹底的にやる日々を重ねると、だんだん安心や結束に変わっていきました。初めてマスクからフェイスシールドに切り替えてみんなの顔が見える稽古をした時の稽古場のテンションの上がり具合ははっきり覚えています。

幸運だった理由に、再演だった、と書きましたが、それは短い稽古時間、慣れないコロナ対策の中お芝居を作るには本当に助けられた部分でした。椎名は主人公秋山真希を演じるのは2度目。劇団員全員がこの演目を1度以上体験しているという強みは本当に大きかったです。逆にコロナがなければ、あっと言う間に芝居仕上がったんじゃないかなそれはないか笑。今となってはコロナじゃなかった世界で出来たミキシングレディオ2020はどんな作品になったんだろうと思います。ソーシャル対策のひとつとして導入した小道具のスタンガン棒。それで面白いシーンが山ほど生まれたし、こっちの方が断然面白いと思いました(これまでの狂気はシンプルにナイフ)。
キャストは皆ヘロヘロになって稽古してましたね。ただでさえあの熱量の芝居をマスクをつけながらの稽古。もう高地トレーニングですよ。一度椎名くんは箱根駅伝でたすきを渡した後の走者みたいになったこともありました。椎名くんはちょっとあまのじゃくというか変わったやつでしてね、元々脇役好きというのもあるんでしょうが、主演を張ることも多くなり、主演女優らしいわがままさ(褒めてます)を出しつつ、ちょいちょい稽古場で「脇役がいい」と愚痴るのです笑。そんな彼女ですが、見事な主演を張ってくれたと思いますね。

ラストの真希さんの決め台詞
「このスタジオで何が起きたってリスナーには関係ない。それが私たちの仕事、生放送ってもんなのよ」

この脚本は確か2001年が初演だったかな、20代の私が書いたホンです。たぶんその時は演劇とラジオ生放送を重ねたような想いで書いたんだと思いますが(忘れた)、この2020年にこんな形で響く台詞になるなんてね。不覚にも稽古場でその台詞を聞いた時にブワッと涙が出ましたわ。ブワでしたわ。
その後11月のザ・ボイスアクターまで、正確にはこの前終わったボブジャの公演まで、千秋楽が迎えられるかどうかの不安と、迎えられた時の喜びは、まさに言葉にできない一年でした。ミキシングレディオはそれが当たり前ですが一番強い公演だったかな。
これまで人生の様々な局面を、自分のホンや、それを演じる役者、それを喜んでくださるお客様に、何度となく救われてきましたが、このコロナ一色の2020年に、ミキシングレディオの再演を選んでいた私のチョイスはナイスでした。だからタイトルも「ミキシングレディオ2020」です。本当はね、オリンピックにあやかったネーミングだったんですけどね笑。

円陣もソーシャルディスタンス

さて、ここからwithコロナ時代に突入し、UDA☆MAP公演2連続に進んでいきます。
次回は、
8月「ホテルニューパンプシャー206」です。

トムコラム